kokutai「日本への回帰」「揺るぎなき国体」

日本への回帰 日本の米文化と西洋のパン文化2 展転社代表取締役 荒岩宏奨

 お米を主食にするといふ生活様式は、麦を主食とした野蛮な生活様式にはならなかった。米は完全食なので、西洋人のやうに狩猟する必要性がなかったのだ。したがって、動物を犠牲にする必要性がない。何かを犠牲にする必要性がなかったのだ。西洋の宗教であるキリスト教では、イエス・キリストが犠牲となって人間の原罪を注ぐのだが、日本の神道にはそのやうな犠牲は不要である。そもそも日本人は原罪を背負ってゐないのだが、犠牲なしで罪穢れを祓うことができる。神社などでは六月と十二月の年に二回ほど大祓を行ひ、罪穢れを祓ってゐる。そこに犠牲はない。

 米作りの水田農耕は外に出て行くこともなく、どちらかといふと毎年同じ場所で稲を育てて米をつくるので、定住することになる。水田農耕をするには、近所の皆と協力していくことが必要になる。日本人がおとなしくて、協同生活が得意なのは、長い間、この水田農耕生活で暮らしてきたからではないだらうか。

 日本人の食器は箸である。ブリッジの橋も、食器の箸と同じく「はし」と言ふ。保田與重郎は、これらはすべて同じ意味であり、何かと何かを結ぶ、つなぐのが「はし」だと述べてゐる。道の端と道の端を結ぶのがブリッジの「橋」なのだ。

 では食器の箸は何と何を結ぶのか、食べ物と私たちの口を結ぶから「はし」なのだと述べてゐる。このやうな思想が保田與重郎の代表作である『日本の橋』に書かれてゐる。

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