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『やまと新聞』への寄稿 国際政治経済学者 山下英次 大阪市立大学名誉教授・経済学博士
安倍元総理の暗殺という重大事件: 国はいかに対応すべきか?
7月8日、日本の国にとって大変な悲劇が起こったが、あの日から優に1か月以上が経過したにもかかわらず、本来、喫緊に済ませておかなければならない重要な事がいまだに何もなされていない。それは、警察の責任を内外に明らかにすることである。言うまでもないことであるが、安倍総理の暗殺という歴史に残る重大事件は、一義的には奈良県警とSP(要人警護を担当する警視庁の警官、Security Police)の大失態である。いまだに、何の処分もなされていないとは、一体どうしたことであろうか?マス・メディアも、本来はこの点に注目すべきであるが、統一教会と政治家のかかわりの問題ばかりに焦点を当てていて、警察の責任追及にはほとんど切り込んでいないように見える。
また、政府としてなすべきことで一番重要なことは、事件の徹底した真相究明である。世界的にも極めて重大な事件なのであり、総理大臣が指導して、警察から完全に独立した精鋭の識者たちによって構成される国を挙げて、事件の全貌を調査対象とする真相究明委員会を立ち上げるべきである。これが、なぜいまだに立ち上がっていないのかも不思議でならない。
国葬は岸田総理の正しい判断
私は、7月11日に、自分のFacebookに、国葬にすべきではなかと提案したが、岸田総理は、7月14日、思いのほか迅速に国葬の決断をされたことに対し敬意を表したい。
海外の多くの国々からの安倍さんに対する真心のこもった極めて深い弔意が寄せられている。国内で、国葬に対する反対が多く、内外の大きな内外ギャップがあり過ぎる。これは、日本の多くのメディアが、安倍外交の真価を正しく理解できていないことが原因と思われる。
安倍さんは、外交政策で、極めて大きな成果を遺した。私は、日本の歴代首相の中で、間違いなく断突に一番だと理解している。また、海外に目を転じてみても、安倍さんに匹敵するような前向きかつ好ましい影響を国際社会に与えた指導者は、これまでにいたであろうか?私には、思いつかないのである。ここでは、名前を挙げるようなことはしないが、一般に、欧米の大政治家と目されている人たちの中には、実は、外交政策上途方もない間違いを犯した人たちも少なくないのである。
安倍さんが、第一次政権の際に最初に唱えたインド太平洋戦略は、いまや、自由民主主義陣営全体の戦略になっている。アメリカは、戦域軍の名称を、「アジア太平洋軍」から「インド太平洋軍」に変更した。国務省も国防総省も、いまや、完全に、「自由で開かれたインド太平洋」(FOIP)に則って、政策・計画を展開している。さらに、イギリス、フランス、ドイツ、オランダ、イタリア、EU、NATOも、基本的にそれに追随している。QUAD(日米印豪の4カ国の関係)も、安倍政権の時のイニシアティヴである。実は、アメリカの現在の対アジア政策のコンテンツのほとんどすべてが、安倍政権時代に日本から提案したものとも言えるのである。
経済問題に関する安倍さんの功績についていえば、アメリカ抜きでもTPP 11(CPTPP)の成立にこぎつけたことである。私は、アメリカが最初から参加する形のTPPにはむしろ反対であった。ルール作りに、米国が例によって横車を引くからであるが、米国が不参加を表明したために、米国抜きで行くことになった。米国抜きにもかかわらず、TPP 11を推進したのも、安倍さんのリーダーシップの賜物である。米国抜きでルール作りができ、後から米国に参加させる形になった。米国の横車を抑止できるという意味で、むしろこの方が良かったのではなかと、私は理解している。現在のところ、米国政府は、まだTPPに参加する姿勢を見せていないが、参加すべきだと考える米国人も少なくないので、いずれ実現するかもしれない。
大手メディアは不見識を恥じるべき
安倍さんの暗殺に対する内外の受け止め方の大きなギャップの背景は、朝日新聞、毎日新聞、共同通信、さらに多くの地上波メディアが、安倍さんの功績を正しく伝えて来てこなかったからである。今や、日本の大手メディアが国際的な見識を著しく欠いていることは明らかである。これも、安倍さんの死で改めて明らかになったと言えるであろう。
自分の国の重要な外交政策の世界的意義すらよく分からないのだとしたら、メディアとして完全に失格である。そのようなメディアの存在意義はない。大手メディアに対する大きな不満を、国民それぞれが、自分なりの方法で明らかにするべきである。新聞関係者によれば、投書というのものは、意外に効くそうである。同じ趣旨の投書がたくさん寄せられれば、メディアも対応せざるを得ないのではないだろうか。国民挙げて、大手メディアに対する不満の大合唱をすることを、この際、提案したい。
また、日本のメディアが、明らかに「暗殺」と表記すべきところを、「殺害」としているのも納得できない。物事は、正確に表現すべきである。日本のメディアは、オバマ米政権による2011年5月のウサーマ・ビン・ラーデンの暗殺の時も、トランプ政権による2020年1月のイランのイスラーム革命防衛隊の特殊部隊(クドス部隊)のガーセム・ソレイマーニ司令官の暗殺の時も、バイデン政権による2022年7月のアル・カーイダの最高幹部アイマン・ザワヒリの暗殺の時も、「殺害」と表記していた。ちなみに、海外の大手の英語メディアは、いずれも、「暗殺」と表記している。例えば、アメリカのメディアも含めて、「ウサーマ・ビン・ラーデンの暗殺」(”assassination of Osama bin Laden”)と表記するのが通例である。
警察の大失態とその責任追及
現在の警察組織は、国家行政組織の警察庁と地方組織の警視庁と道府県警察によって構成されるが、こういう形に落ち着いたのは、1954年(昭和29年)の警察法の改正によるものである。それ以来、今回の事件は、警察による過去最大の失態と言ってよいであろう。
全国の警察組織を束ねる国の組織である警察庁は、国家公安委員会の下に置かれている。そして、その国家公安委員会は、内閣府の外局で、独立性の極めて高い組織である。国家公安委員長は国務大臣で、そのほかに5名の有識者による国家公安委員(任期=4年)によって、国家公安委員会は構成されている。警察法によれば、国家公安委員会は、警察庁を管理・監督(supervise)する立場にあり、警察庁長官、警視総監、道府県の本部長(含む奈良県警本部長)の任免権を持っている。ただし、内閣総理大臣の承認が必要である。したがって、今回の重大事件について、警察がどのように責任を取るかについては、一義的には国家公安委員会が決めるべき事項である。
事件当時、国家公安委員長であった二之湯 智 氏は、8月10日の内閣改造によって退任したが、これは、先の参議院選挙には立候補せず、7月25に参議院議員を引退したことから取られた措置であり、必ずしも事件の引責によるものとは言えない。すなわち、今日に至るまで、警察は、まだ何の責任も取っていないことになる。
今回の事件によって、いわば国の安全保障が揺らいだわけであり、今後は、要人警護の態勢を整え、自分たちで、しっかり国を守っていくという意思表示を内外に向けて発信する必要がある。そのためにも、やはり岸田総理が主導して、速やかに、厳正に処罰すべきではないだろうか。
旧統一教会は何が問題なのか?
世界平和統一家庭連合(旧統一教会)が、共産主義に対する国際共勝連合でもあり、これを日本の保守勢力が頼りにしたということだが、このことは、1930年代初めのドイツにおけるナチス台頭の背景と多少似たような状況ともいえる。第一次世界大戦後、パリ講和条約によってドイツに課せられた極めて法外な戦後賠償金支払いと世界大恐慌の影響などを背景にドイツ経済が疲弊し、共産主義勢力が台頭した。それに対して、反共を掲げるナチ党は、ときには、街頭などで共産党との暴力的な抗争を繰り広げた。共産党が怖いことを知っている一般市民は、それを見て、ナチ党を頼りがいがあると感じるようになってしまったことも、最も民主主義的といわれたヴァイマール共和(第一次世界大戦敗戦後の1919年に成立したドイツの新しい共和国)の憲法の下で行われた1932年7月の国政選挙でついにナチ党を第一党に選んでしまったことの一つの要因である。つまり、共産主義が常に社会の攪乱要因になりうるということではないであろうか。
旧統一教会がいけないのは、日本の信者から霊感商法などを通じて、多額の資金を集め、いわば、日本を同教会の財布代わりに使ってきたことである。多額の資金を奪われ、家庭崩壊を招くようなことは決して許さることではない。しかしそもそも、なぜ、日本が財布代わりに使われるようになったのか、また、なぜ日本人信者がそれを許してきてしまったのかを問わなければならない。その背景には、戦後、GHQ占領下で進められた洗脳が、まだ多くの日本国民の頭の中に浸透したままだということがある。戦前・戦中に朝鮮や中国の人たちに対して、日本人は悪いことをしてきたに違いないという自虐史観に苛まれてきたのである。しかし、これは史実に反する。つまりそれは、今後、日本人が乗り越えなければならない歴史認識問題なのである。
1946年11月25日、GHQは、戦後徹底的に展開した極めて厳しい言論統制の決定版として、メディアに対して「30項目の検閲指針」、を発した。その第8項目目が「朝鮮人に対する批判の禁止」であり、第9項目目が「中国に対する批判の禁止」である。これによって、メディアの朝鮮や中国に対する批判が完全に抑え込まれ、それが今日に至るまで尾を引いている。加えて、WGIP(ウォアー・ギルト・インフォメーション・プログラム)や東京裁判を通じて、日本国民は徹底的に洗脳され、自虐史観を植え付けられた。そして、日本の大手メディアは、GHQによる日本国民の洗脳に完全に加担させられた。メディアは、本来、1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約の発効後、そのことを国民に対して告白・懺悔すべきであるが、今日に至るまでほとんど何もしていないのが実情である。それどころか、今では、戦後GHQから強制された自虐史観を、あたかも自分たちが最初から持っていたかのように振る舞っている大手メディアがほとんどである。
すなわち、メディアは、いまだに輿論と世論をミスリードしている。その意味でも、メディアは、歴史認識について真摯に反省すべきである。これは、日本の真の意味での国の独立にかかわる極めて重要な問題である。
国を挙げて独立した真相究明委員会の立ち上げを
8月末に、警察庁の調査結果が出るとのことであるが、それは事件当時の奈良市の警備・警護などを対象とした検証・見直しチームによるものであり、当然のことながら、それだけでは全く不十分である。あらゆる角度から、あらゆる可能性を想定し、事件の全容を徹底的に調査・解明するために、国を挙げた真相究明委員会の立ち上げを速やかに行うべきである。これは、やはり岸田総理が主導すべきで事項ではないだろうか。