the-diet国会
村田春樹 (自治基本条例に反対する市民の会会長・今さら聞けない皇室研究会顧問)
以下は平成28年12月28日真珠湾での日米両国首脳主催の慰霊祭の実況中継を見ていた時の感想です。当時ミニコミ誌「八紘一宇」に掲載されましたが、安倍晋三元首相の悲劇的な最期に際し、やまと新聞編集部の許可を得てここに再掲させて戴きます。私の精一杯の挽歌とさせていただきます。合掌。令和4年7月10日
真珠湾での安倍首相とオバマ大統領の演説を見て落涙した。
昭和61年12月7日、45年目のあの日、35歳の私は、一人で真珠湾を訪れ式典に参列した。そのとき流した涙と同じ涙を今日も流した。
生命を祖国家族のために捧げた勇敢なる将兵への感謝と畏敬の涙である。以下演説の感想を述べる。長いが御一読いただきたい。まず安倍首相の演説である。
前半はまさに叙事詩であり、一篇の詩であり崇高な死者への祈りである。
『耳を澄ますと、寄せては返す、波の音が聞こえてきます。降り注ぐ陽の、やわらかな光に照らされた、青い、静かな入り江。私の後ろ、海の上の、白い、アリゾナ・メモリアル。そこは、私に、沈黙をうながす場所でした。亡くなった、軍人たちの名が、記されています。祖国を守る崇高な任務のため、カリフォルニア、ミシガン、ニューヨーク、テキサス、様々な地から来て、乗り組んでいた兵士たちが、あの日、爆撃が戦艦アリゾナを二つに切り裂いたとき、紅蓮(ぐれん)の炎の中で、死んでいった。』
『最後の瞬間、愛する人の名を叫ぶ声。生まれてくる子の、幸せを祈る声。一人ひとりの兵士に、その身を案じる母がいて、父がいた。愛する妻や、恋人がいた。成長を楽しみにしている、子供たちがいたでしょう。それら、全ての思いが断たれてしまった。その厳粛な事実を思うとき、かみしめるとき、私は、言葉を失います。その御霊(みたま)よ、安らかなれ――。思いを込め、私は日本国民を代表して、兵士たちが眠る海に、花を投じました。』
この前半導入部を書いたのは誰だろうか。素晴らしい詩人である。涙を禁じ得ない。感動しない人がいるだろうか。
飯田房太軍大尉の碑について私は迂闊にも知らなかった。
安倍首相ははっきりと帝国海軍大尉(だいい)と2回にわたって発言している。大尉は陸軍では「たいい」、海軍では「だいい」と濁る。ちゃんとそれを踏襲している。また旧軍ではなく、正しく帝國海軍と言っている、英訳にも Imperial Japanese Navy Officer となっている。
『私は日本国総理大臣として、この地で命を落とした人々の御霊に、ここから始まった戦いが奪った、全ての勇者たちの命に、戦争の犠牲となった、数知れぬ、無辜(むこ)の民の魂に、永劫の、哀悼の誠を捧げます。』
私は嬉しい。戦歿将兵を「勇者」と呼びかけていただいた。戦歿将兵は不幸な犠牲者ではない、英霊はまずもって勇者なのである。
『The brave respect the brave. 勇者は、勇者を敬う。』
安倍首相はここでも我が英霊をThe brave 勇者と呼んでくれた。そして米兵もまた勇者だったのである。
安倍首相はこう締めくくった。
『私たちを見守ってくれている入り江は、どこまでも静かです。パールハーバー。真珠の輝きに満ちた、この美しい入り江こそ、寛容と、そして和解の象徴である。私たち日本人の子供たち、そしてオバマ大統領、皆さんアメリカ人の子供たちが、またその子供たち、孫たちが、そして世界中の人々が、パールハーバーを和解の象徴として記憶し続けてくれることを私は願います。 そのための努力を、私たちはこれからも、惜しみなく続けていく。オバマ大統領とともに、ここに、固く、誓います。ありがとうございました。』
平凡な表現だが歴史に残る名演説だと思います。
ここ真珠湾で日本とアメリカの将兵が、私たちに遺してくれたのは、生命以上の価値の存在です。生命尊重以上の価値、それは日本であり祖国です。
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