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―それでも私は「天皇陛下萬歳」を叫ぶ― 村田春樹(自治基本条例に反対する市民の会会長・今さら聞けない皇室研究会顧問)

沖縄返還50年となった。14日には那覇で良識派により前夜祭、15日当日は政府主催の記念式典が挙行された。50年前の15日、東京武道館で両陛下をお招きして記念式典が行われ佐藤栄作首相が「沖縄祖国復帰萬歳」の音頭をとった。同時刻那覇の市民会館でも式典が行われた。

主催者である屋良朝苗(最後の琉球政府行政主席、沖縄県復帰後最初の知事)が万歳の音頭を取った。屋良は昭和28年、沖縄教職員会会長の時に衆議院で沖縄の児童生徒への援助を懇請、祖国復帰を熱望して声涙ともに下る名演説をしている。極々一部を紹介する。

「・・・痛々しくも祖国に殉じた青少年男女学徒等の最期をわれわれは絶対に忘れることはできません。彼らは愛する祖国を守るためにこそ、純情一途に最後まで祖国の勝利を信じつつ、あたら花のつぼみのようなうら若い身を、かの映画「ひめゆりの塔」で見られますように祖国に捧げたのでありました。われわれはいかなる障害を乗り越えても彼女らの純情を生かしてやりたいのであります。このことはわれわれ沖縄教育者の至上崇高なる課題であります。すなわちわれわれは彼らが文字通り身をもって守って来た祖国を失わしたくはないのであります。国政に参与せられる皆様、どうぞこの島に眠る戦没者の魂の声を聞きとっていただきたい。また条件はどうであろうと、いやしくも祖国を有し、それと一連の共通の文化と歴史を持ち、日本人としての民族的矜持を有する沖縄の住民が、どうしていつまでも異民族の統治下に満足しておられましようか。どうぞ沖縄の住民の立場になって考えていただきたいと思うのであります。・・・」

私はこれを読む度に落涙を禁じ得ない。さて話しは萬歳の音頭に戻る。屋良は革新つまり社会党共産党に担がれていた。だから本欄の読者には彼に良い感情を持っていない人も多いと思う。

しかし彼はなんと当日式典で「天皇陛下萬歳」と叫んだのだ。事前に察知した周囲が「それはやめろ」と迫ったが屋良は言った「それでも私は天皇陛下萬歳を叫ぶ、私の娘がしたように。」周囲は黙るしかなかった。

屋良の娘ヨシはあのひめゆり部隊に志願して散華したのである。式典の最中屋良の胸中には様々なことが走馬灯の様に巡ったことだろう。

大正10年18歳の時沖縄に行啓された皇太子(御年19歳)を間近で拝礼したこと、50年後に東京で式典にご臨席の天皇陛下。そして激戦の沖縄で散華した娘ヨシ、彼女はどれほど日本の勝利沖縄の安寧を祈り戦ったことか。屋良は娘に語りかけただろう。「沖縄は無事に日本に帰ってきたよ。安心しなさい。」屋良は決心した、娘の分まで天皇陛下萬歳を叫ぶと。

来たる5月22日13時30分、星陵会館で良識派の祝賀式典が開催される。式典最後に不肖村田が萬歳の音頭を取る。私も万感の思いを込めて喉も裂けよと「天皇陛下萬歳」を叫ぶ。皆様是非とも大きな声でご唱和ください。