tajikarao「タジカラオの独り言」

 痛哭!-通州事件― 野口翔(映画監督)

新しい歴史教科書を作る会の藤岡信勝先生から連絡を受け、5月29日に東京学士会館で「通州に生きてーある女の一生―」と言う寸劇を披露することになった。通州事件は1937年北京近くの冀東(きとう)防共自治政府で起きた日本人大虐殺事件で、犠牲者は400人近くもあった。本紙読者にはご存知の方も多いと思うが、その猟奇性は正に筆舌に尽くし難い。強姦や虐殺は序の口で、妊婦の腹を切り裂き胎児を踏みつぶす。頭の皮を剥ぎ目をくり抜き腸を引っ張り出す。手のひらに穴を空け針金を通して数珠つなぎに縛り、男の男根を切り落とし女の陰部をえぐり取る・・・・・・。と書いていても吐き気がするほどの残酷さだ。事件当時は新聞報道も多かったこの事件が、戦後は「南京大虐殺」と言う捏造に置き換えられ、忘れ去られようとしている。この恐ろしい事実を記録し後世に伝え残し日本人へ警鐘を鳴らそうと言う藤岡先生たちのご苦労には感謝しかない。初め藤岡先生から、この事件を映画に出来ないかと言う相談を受けたが、あまりにも凄惨な場面の連続のため映像で表すのはとても難しく、真実を伝えたいのはやまやまだが、これを映画にする方法はなかなか見つからなかった。しかし演劇という、役者の台詞と音響効果で観客の想像力に託す表現方法なら可能性があると思い、短い演劇を作ることになった。

それにしてもこの残虐性は日本民族には無いものだ。「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓は、昭和16年陸軍大臣東条英機大将により発っせられた軍人の心得であるが、日清日露の戦争、シナ事変で捕虜になった日本兵へのリンチがあまりにも酷かったことから、捕虜になるくらいなら死を選べと諭したものと言われる。中国4000年の歴史は血塗られた歴史である。王朝の交代ごとに繰り返された何千万人と言う大虐殺は知られているが、彼らは生きた人間の殺害にとどまらず、既に死んでいる者にも容赦しない。「史記」に「死屍に鞭打つ」という話がある。春秋戦国時代の呉の大将が敵の城を攻め落としたが、既に敵の王は亡くなっていた。そこで墓を暴き死体を引きずり出し三百回の鞭打ちの刑を行ったと言う。死んでしまえば昨日までの敵も仏様になる、と考える日本人には想像もできない所業である。又彼らは人体を変形させることに妙な情熱を注いできた民族でもある。典型的なものは宦官である。元々は敵の捕虜の男根を切り落とす刑罰だったが、去勢され生殖機能を失った宦官は、宮廷で妃たちの召使として仕えるうちに権力を持つ者も現れたと言う。「纏足(てんそく)」と言うのも酷い風習と言える。幼い頃から少女の足の指を折り曲げて強く縛り、小さい靴を履かせて成長を止める。七八歳になると足の裏を強く曲げて脱臼させて縛り完全に成長を止めてしまう。こうしてよちよち歩きの女性ができるが、それを官能的と喜んだと言う。さらに酷いのは「盲妹(もうまい)」と言って、幼い少女の両目を針で突いて盲人にする。そして目の見えない少女娼婦を抱くのを愉しんだ。現代でも攫われた子供が手や足を切断され物乞いをさせられる事件は多い。纏足や宦官は広く満州から朝鮮にまで広まったが、我が日本は決してこれらの風習は受け入れなかった。彼等は動物に対しても奇形を作り出すことが好きだ。金魚の劉金と和金、ペキニーズと和犬と比べてみてもその違いは明らかである・・・・・・。自然の美を愛する日本的感性を私は尊く思う。

だが、彼らから見ると日本人の方がよほど特殊な民族に見えるかもしれない。源平時代には互いに名乗りを上げ、一句歌を詠んでから戦った。戦国時代と言えど戦いに勝った側が負けた側の民衆を根絶やしたことなど日本史の記録には無い。関ヶ原の戦の後大阪の人間がジェノサイドにあったことなど無い。シャクシャインの乱の後、松前藩がアイヌ民族を根絶やしにするなどと言うことは決して無かった。江戸城の無血開城。琉球処分然り。会津に対する長州軍の仕打ちは例外的に厳しかったが、それでも戦が終わった後の住民虐殺は無かった。

三光作戦、731部隊、従軍慰安婦強制連行、南京大虐殺・・・・・・いずれも敗戦国である日本を道徳的に貶めようとした中国や韓国の捏造であることが、今は藤岡先生たちの努力で証明されてきている。そして現在、尖閣の領有権を主張し沖縄への進攻を狙う中国のみならず、我が政府はロシアをも敵に回した。北朝鮮を含め核保有国三国に囲まれた我が国が未来に向かって活路を開くためには、今一度明治の精神に立ち返って富国強兵策をとるしかない。

通州事件を知ることが、日本人の「備え」に役立つことを信じて、演出を開始する。