yukoku「憂国の風」
【特別寄稿】 『学徒出陣とその戦後史』(啓文社書房)を読んで 玉川博己(三島由紀夫研究会代表幹事)
今年は戦後76年の年であり、また昭和18年の学徒出陣から78年目に当る。日本人にとってもはや戦争ははるか彼方の遠い昔の出来事となっている。戦後まれの筆者はもちろん戦争体験は何もないが、24前に他界した私の父が正にこの学徒出陣組であった関係で、生前の父からよく戦争の話を聞かされたものである。その意味で私にとって父(そして母の)戦争体験はある意味で幼少の頃から身近な存在であった。戦争で父母や祖父母が如何に苦労したのか、そして戦後の苦難の状況の中で父母達が懸命に生活を支え、子供を育ててきたことが我が家のルーツでもあったと子供の頃から感じていたように思う。これはまた私達の世代には共通した体験であるかも知れない。
本書は学徒出陣体験を持つ7名の方々のインタビューをもとに構成されている。いわゆる戦記もの、戦争体験ものはこれまで実に多くの書物が出版されてきているが、本書は単にそうした学徒出陣体験者の戦争経験にとどまらず、それぞれが戦前はどのような学生生活を過ごしてきたのか、また戦争が終わって復員後、戦後の社会の混乱の中に放り出された若者達がどうやって生活し、家庭を営んできたのか、いわば戦後復興において各自がどのように社会の中で奮闘してきたのかを貴重な証言によってまとめている。言い換えれば本書から戦後復興史の一面が垣間見ることができるのではないだろうか。
本書に登場する7名の証言者はいずれも筆者が取り組んでいる戦没学徒慰霊追悼活動の中で知り合った方々である。筆者は13年前の平成21一年に母校・慶應義塾大学の戦没学徒を慰霊する慶應義塾戦没者追悼会を代表幹事として立ち上げて以来、多くの大学の学徒出陣体験世代のOBとも交流を持ってきた。また学徒出陣70年に当る平成25年から神宮外苑の国立競技場にある「出陣学徒壮行の地」記念碑前での戦没学徒追悼会を毎年10月21日に主催している。(尚この記念碑は2020年東京オリンピック開催決定に伴い、国立競技場が建替えられることになった関係で、平成26年から隣接する秩父宮ラグビー場構内に仮移転されている。)そして7名の証言者は年齢的に私の父と同世代であり、皆90を越えている。これらの貴重な体験談から、私の父と父の世代が戦中、戦後どのような青春を送ってきたかを窺い知ることができて誠に有り難いとも思っている。
この証言者の中には、早大出身で戦後講談社の名編集長として活躍された原田裕氏も登場するが、とくに三島由紀夫との思い出も語られているのが大変興味深い。
学徒出陣の原点は史上初の総力戦として戦われた第一次世界大戦にさかのぼる。それ以前の戦争は正規軍が戦場で雌雄を決する戦争であり、しかも短期決戦であったのに対して
第一次世界大戦は参戦国の総力をあげて戦う長期消耗戦となった。各国とも徴兵による兵士の大量動員から、下級士官の補充要員としての学生の動員も行った。米国ではROTC,英国ではOTCという学生を対象にした予備役将校制度が19世紀から存在していたが、第一次世界大戦を契機にその拡充が図られ、米国を例にあげると昭和16年12月の日米開戦とともに全米の大学でROTCの大量募集、大量動員が始まったという。だから翌年八月の米軍によるガダルカナル反攻の頃には既に学生出身の戦闘機パイロットや小隊長クラスの指揮官が戦場に登場している。日本の学徒出陣は更に翌昭和18年末だから、米国は日本より、学生の戦争動員において、二年も先んじていたことになる。
欧州大戦の本格的な総力戦を経験しなかった帝国陸軍は、それでもルーデンドルフが唱えた国家総力戦理論に影響を受けて、大正末から学校における軍事教練を始めるなど、高度国防国家論が力説されるようになっていった。しかしその軍事教練も歩兵戦闘の初歩的なものであり、真の軍事教育からは程遠いものであった。昭和十年代になると海軍における短現士官、予備学生・予備生徒、陸軍における特別操縦見習士官などの諸制度が実施に移されていった。その他大陸における支那事変の拡大に伴い軍医や獣医の動員も行われていった。
しかし尚日本においては、大学、高等学校、専門学校に在籍している学生には徴兵猶予の特典が与えられていた。昭和16年12月に大東亜戦争が始まっても、これは変わらずであった。当局が本格的な学生の軍隊への動員を決意したのは、戦局の苛烈の度が増してきた昭和18年夏頃といわれる。そして昭和18年10月1日、政府は在学徴集延期臨時特例(昭和18年年勅令第755号)を公布した。これは、理工系と教員養成系を除く文科系の高等教育諸学校の在学生の徴兵延期措置を撤廃するものであった。これがいわゆる学徒出陣である。そして徴兵検査の後陸軍は昭和18年12月1一日に入営、海軍は同12月10日の入団となった。
このように、私の父も含めた多くの学生が学窓から戦地に赴いた学徒出陣であるが、では一体何名の学徒が出陣したのか、数万とも、10万とも、あるいは13万とも諸説があるものの正確な数は分かっていない。またその内何名が戦没したのかも不明である。あれほど当時の国民に熱狂と鮮烈な印象を与えた学徒出陣であるが、その実体は分からぬままに戦後を迎えたのである。本来なら国家総力戦下、時の政府が命じ、大学が学生を戦争に送り出した学徒出陣であり、その結果多くの学徒が戦没したのであるから、これをしっかりと総括すべき責任があるはずの政府や大学であるが、彼らは戦後全くこれを無視し、放置してきた。むしろ問題はここにあるのではないだろうか。
私の父の母校である東京大学では、約1,500名が戦没したといわれているが(これは早稲田、慶應義塾に次ぐ数であるが)本郷にも駒場にもキャンパス内には慰霊碑一つなく(学外に有志によって建てられた慰霊碑は除いて)、また大学による慰霊祭も行われていない。ハーバード大学をはじめ欧米の歴史ある大学には必ず様々な戦争で戦没したその大学出身者の名を刻んだ追悼施設が存在するのとは大違いである。古今東西、あるいは宗教の違いを問わず、戦争において国のために散華した戦没者を英霊として敬意を捧げ、その慰霊追悼を行うのは極めて自然な人間の感情に基く行為である。その戦争の歴史的評価とは全く別の問題である。
戦後間もない頃、東大では卒業生有志によって本郷キャンパス内に戦没学徒の慰霊碑として「わだつみの像」を建立する計画が持ち上がったが、当時の南原繁総長は大学の学門や研究と直接関係のないものを学内に建てることは辞退する、として断ったという。以来現在にいたるまで東大キャンパスには戦没学徒を慰霊する施設は何もない状態が続いている。南原総長が慰霊碑の建立を断った理由として考えられるのは、一つは当時の占領軍(GHQ)に対する遠慮があっただろうし、東大をはじめ全国の学園で大きな勢力を誇っていた共産党など左翼勢力を刺激したくない、という気持ちもあったのであろう。
一方当時ベストセラーとなったのが戦没学徒の遺稿を集めた『きけわだつみのこえ』であった。多くの戦没学徒の遺稿は読むものの胸を打ったが、しかしやがてこの遺稿集が、編集者のイデオロギーに沿う形で、あろうことか戦時中の官憲による、あるいは戦後のGHQによる検閲よろしく、戦没者の遺稿を恣意的に改竄して出来上がったものであることが判明し、その政治的思想的偏向が批判されるようになった。そしてより公平な立場からということで、その後『雲ながるる果てに』や『あゝ同期の桜』など多くの戦没学徒遺稿集が出版されるようになっていった。
先に戦後の東大について述べたが、最高学府たる東大に代表されるように、戦後の日本における諸大学では、大学として学徒出陣を記録し、戦没学生を慰霊、顕彰するどころか戦没者の調査すらまともに行われてこなかった。およそ戦後日本の大学では戦争について語り、戦没者を慰霊することを忌避敬遠するような空気が存在していたといえる。
私の知る限り、東京都内で大学キャンパスに戦没学徒の慰霊、追悼の碑や施設が存在し、毎年慰霊祭や追悼会を実施しているのは、早稲田、慶應義塾、一橋、國學院、東洋、拓殖,亜細亜の七大学しかないし、東京以外でキャンパスに慰霊碑があるのは小樽商大、香川大など数えるほどしかない。これらの大学は卒業生のまとまりが強く、愛校心が強いという共通点がある。
一方各大学を横断する戦没学徒慰霊の動きとして、平成五年に、昭和18年10月にあの学徒出陣壮行会が行われた国立競技場(元神宮外苑競技場)の敷地内に、全国諸大学の学徒出陣世代卒業生有志の寄金によって「出陣学徒壮行の地」記念碑が建立された。建立された場所はあの壮行会における分列行進のスタート地点であったマラソン・ゲート傍であった。以来毎年10月21日にはこの碑の前で、元出陣学徒たちが集まって献花行事を行ってきた。しかし平成25年に2020二年東京オリンピックの開催が決定したことにより、国立競技場が建替えられることになったことに伴い、この記念碑も移転されることになった。(実際には東京オリンピックは1年延期されて実際に行われたのは今年2021年であった。)これに先立って、関係者によって国立競技場を管理する文部科学省当局に記念碑の永久保存を要請してきたが、同年末には閣議決定をもって記念碑の永久保存が決定された。また国立競技場の建替え工事の着工に伴って、平成26年には記念碑が秩父宮ラグビー場構内に仮移転されることになった。秩父宮ラグビー場への仮移転後も、毎年10月21日に記念碑前で戦没学徒追悼式典を開催している。また実行委員会も戦後生まれの世代に引き継がれ、私もその代表をつとめている。
このように戦後すでに七十一年、学徒出陣から七十三年がたつが、学徒出陣を記念し、戦没学徒を慰霊追悼する運動は、学徒出陣世代からその子の世代に引き継がれ、更にその孫の世代も参加しつつあるのは、ある意味自然の流れであろう。
学徒出陣から78年、戦後76年という歳月が経過し、もはやあの戦争もそして学徒出陣という歴史的出来事もはるか遠い過去の出来事のように感じられる。しかし現在は過去の延長線上に位置し、戦後のそして現在の日本は戦前、戦中の日本と全く無縁に存在しているのではない。私の父も含めてあの戦争に青春を捧げ、血みどろになって戦った世代の若者たちが、戦後の廃墟の中から立ち上がり、引き続き終戦後の苦難の中を必死に生き抜いて日本再建を目指して戦った歴史でもあったのだ。私たちは自分たちの父母を見てそのように実感してきた。本書で語られた学徒出陣体験者の証言は貴重な昭和史であり、青春の記録であり、そして世界をも驚愕させた日本復興史を物語る証言でもある。また本書に登場した元出陣学徒たちの心には、あの戦争に散った多くの仲間たちの、学問を愛し、家族を愛し、そして祖国を愛する心がそのまま生き続けてきたことを深く感じ取ることができる。私たちはその心を我が心として受け止め、次の世代に引き継いでゆくことを我らが使命と考えたい。