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「空の神兵」って何?  奥本康大(「空の神兵」顕彰会会長)

『わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多くの損害と苦痛を与えました。』

これが、未だに日本人だけでなく近隣諸国に大きな誤解を与えている村山富市氏のいわゆる「村山談話」の一説である。

 

昭和天皇の発せられた「開戦の詔勅」を村山富市氏は読んだこともないのか!と問い質したい。マッカーサーですら戦後、日本は悪くなかったと証言しているにも関わらず、村山富市氏は寝言のような発言をして、自分がおこなった「大罪」に気付いていない。

それをマスコミは大東亜戦争の真実を検証することもなく、事実のように囃し立て、反日日本人という厄介な集団をも生み出している。

 

この為、日本人の多くは自虐史観の僕となり、戦後七十数年も経過しているにも拘わらず、未だに近隣諸国に媚び諂っている悲しい国家である。

 

大東亜戦争は、日本の自存・自衛だけではなく、アジア諸国の植民地からの解放、人種差別の撤廃を大義とした正義の戦争であった。しかし現在に至ってもアメリカの洗脳から目覚めない多くの人たちがいるが、これが嘆かわしい日本の現実である。

 

現在において大東亜戦争を正しく教える教育はされていない。

これでは、ますます日本人は廃退し、中国の属国になっても不思議ではない!

 

後世に日本の輝かしい歴史を正しく伝えることは、現代を生きる我々の責務である。

 

特に大東亜戦争の歴史を変える転換点となった陸軍落下傘部隊の「パレンバン奇襲作戦」を伝えることは意義深いことと考えている。

今回、貴重な戦闘の一次資料に加え、子供でも学べる歴史漫画との合体本として、㈱ハート出版より出版することになった。

 

昭和天皇は、戦後「大東亜戦争は石油で始まり石油で終わった。」とご述懐されたが、「石油」確保に日本の命運を託されたことは容易に想像出来る。

 

昭和天皇が発せられた「開戦の詔勅」にもあるが、当時はブロック経済であり、日本は「石油」を絶たれたら経済は立ちどころに衰退し、失業者が約千万人から約千二百万人出ると予測されていた。

「石油禁輸」により、日本は「自存と自衛」の為、断腸の思いで開戦に踏み切ったが、もし開戦に踏み切らなかったら日本はどうなったかである。

間違いなくアメリカの植民地になったか、欧米列強に分割統治された筈である。

 

日本にとっては、石油は喉から手が出るほど必要なものであった。

戦前、満洲や樺太で石油の採掘を試みたが、日本の消費を賄いきれるものではなかった。当時の石油輸入依存率は、現在とほぼ同じ約九割以上であった。(大半をアメリカと蘭印東インドからの輸入)

また大東亜戦争直前の、日本の石油備蓄量は七百七十万トンで年間石油消費量五百万トンの一・五倍程度でしかなく、戦争に突入すれば、一年程度で底をつくことが判っていた。

 

この為、日本は当時の世界屈指の石油基地であったオランダ領東インドのパレンバン地区に狙いを定め、昭和十五年末頃から奪取作戦を練っていたのである。

陸軍落下傘部隊は、開戦間もない昭和十七年二月十四日にパレンバンに奇襲攻撃をかけた。その結果、たった一日でパレンバン飛行場と二ヶ所の製油所(スタンダード、ロイヤルダッチシェル)を制圧するといった離れ業を成し遂げた。

 

パレンバンでの大戦果で得られた石油(最大能力での生産(約六百万トン))により、日本は一年程度で連合国に降伏することなく、三年八ヶ月も戦うことができたのである。

その三年八ヶ月間に、アメリカはじめ連合国は日本軍将兵の強さに震撼し、「日本軍とは二度と戦いたくない」と言わせしめたのである。

 

戦争を早期に終結させたいアメリカは、国際法のハーグ陸戦条約を破り、非戦闘員に向けて無差別攻撃を仕掛けるようになったのである。大都市を焼夷弾により焼き尽くし、多くの老人、婦女子の命を奪ったのである。挙句の果てには原子爆弾を使用し、広島、長崎の二十数万人もの非戦闘員の命をも奪った。

 

更に、自らの悪事を隠蔽するために極東軍事裁判(通称、東京裁判)まで開廷し、事後法で優秀な日本の指導者たちを裁いたのである。(日本の再起が怖かったのである。)

国際裁判で罰せられるのはアメリカであったが、戦後のどさくさを利用した攪乱戦法で日本だけを「悪者」に仕立て上げたのである。

日本は疚しいことはしていない! 日本人は自信と誇りを取り戻さなければならない!

 

パレンバン大勝利がなかったなら、日本は消滅していたことを多くの日本人は知らない。アメリカが行った占領政策の罠に嵌ったのであり、この呪縛から解き放たれなくてはならない。また大東亜戦争を勇敢に戦った将兵を顕彰することは日本人の責務でもある。

 

日本人は、昭和十七年二月十四日のパレンバン落下傘奇襲作戦を忘れてはならない!

 

以 上