yukoku「憂国の風」

【憂国の風】 [憂国忌と林房雄先生]   玉川博己(三島由紀夫研究会代表幹事)

 昨年は三島由紀夫先生没後50周年であったが、同時に憂国忌創設の最大の功労者であった作家・林房雄先生が亡くなられてから満45年の節目の年でもあった。私が林房雄の名前を知ったのは高校生になった昭和38年に当時中央公論に掲載されていた「大東亜戦争肯定論」の筆者としてであった。当時名古屋の高校で左翼高校生として活動していた私にとって、林房雄とは昭和初期にはプロレタリア文学運動の闘士であったのに、戦争とともに戦争肯定に転向した裏切者、反動作家というイメージであった。

 

 一方で同じ昭和38年に三島由紀夫が『林房雄論』を発表し。三島由紀夫と林房雄の両者は急速に接近していった。そして昭和41年には二人の対談『対話・日本人論』が刊行され当時浪人生であった私は興奮を覚えてこの本を熱読したものである。(この頃には私は民族派に「転向」していた。)この対談で二人は「革新のシンボルとしての天皇」という考えで一致している。またこの年に早稲田大学で勃発した大学紛争を契機として日本初の民族派学生運動である日本学生同盟が結成された時にこのニュースを聞いた林房雄先生は「天窓が開かれた思いがする」と書き、日本学生同盟(以下日学同)の運動に対する積極的な支援者となっていった。日学同と林房雄先生のつながりから、日学同と三島由紀夫とのつながりに発展し、それがやがて「楯の会」の結成に結びついてゆく。そして昭和45年11月25日には三島由紀夫先生の市ヶ谷台決起事件が起きた。当時私は日学同委員長に就任したばかりであった。

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