pet「マリの喫茶室」
【マリの喫茶室】(56) [高齢者がコロナで死ぬのは仕方がないですか?]
(1)高齢者がコロナで死ぬのは仕方がないですか?
ネットに、北海道の介護老人保健施設でクラスターが発生し、多数の高齢者が入院できないまま施設で亡くなった、職員も多数やめてしまった、遺族が「若い人が入院し、高齢者が施設に残された。命の選択があった」と憤っている、という内容の記事があった。
これに対するコメントがかなりあったのだが、私が見る限り、「そのとおりだ」と記事に賛同するコメントは皆無だった。
多かったのは、遺族への批判
・施設に預けっぱなしにしておいて何だ!自分で介護しろ
次に目立ったのは、
・高齢者は、コロナでなくても、誤嚥性肺炎や脳梗塞で死ぬ。仕方がないだろ。
・だいたい高齢者に医療費を使いすぎる。
ネット住民は若い人が多いからか辛辣だ。「今時の」若い人の正直な気持ちなのだろう。「時代を共有している」と言う実感がないのだ。
この1年間、コロナ感染者は約36万人、このうち亡くなった方は5000人である。
一方、75歳以上の後期高齢者は年間100万人以上亡くなっている。癌や肺炎、心疾患などが多い。コロナで亡くなった高齢者が5000人いたとしても、0.5%程度である。1%にも満たない。
高齢者は、色々な原因で亡くなる。コロナもその一つ。
(2)コロナで浮彫になる世代間対立
高齢になって亡くなるのは自然の摂理。コロナに感染しなくても、誤嚥性肺炎や脳梗塞で亡くなる方も多いが、それをいちいち問題にする人はいない。
コロナも病気の一つ。コロナ死は特別なことではない。
若者はそう考えているのだろう。
だから、高齢者を守ろう!といくら小池知事が叫んでも、若い人には響かない。
我が事とは思えないから。見知らぬ他人を守るために、ストイックな生活を続けようとは思わない。
テレビを見ていたら、密な状態で初詣をしている若い女性が、インタビューで、「コロナは怖いけれど仕方がない。」と答えていた。大晦日に初詣をしなくても生活に支障はないだろうに。
「仕方がない」というのは、コロナは確かに怖いが、たとえ感染しても無症状か軽症ですむ、それより外出や飲み会などの友達付き合いの方が大切という意味なのだろうと言う身勝手な論理だ。
会食をやめられない政治家と同じ。
無症状か軽症だとたかをくくる若者と、死ぬかもしれないと怯える高齢者、コロナは世代間の対立を浮き彫りにしている。
若い人にコロナ感染の恐ろしさを知ってもらうには、新規感染者数や死者数を75歳以上の後期高齢者を外書きにして発表したらいいのではないかと思う。
(3) 高齢になっても死ぬのは怖い
イタリアで感染爆発、医療・介護が崩壊していた時に、高齢の神父が、「人工呼吸器は若い人に使ってくれ」と言って、人工呼吸器を譲り亡くなったという記事があった。
神職とはいえ、中々できない。立派である。普通の人にはできないから、イタリアでもニュースになったのだと思う。
高齢になれば死ぬのは当たり前、仕方がないことと分かっていても、コロナで今日、明日にも死ぬといわれたら、中々受け入れられないだろう。
やはりいくつになっても、死ぬのは怖いと思う。
石原伸晃議員が感染した。基礎疾患があるという理由で無症状にもかかわらずさっさと入院してしまった。普通の人なら間違いなく自宅待機である。ネットでは特権階級だと非難ごうごうである。
確かに、誰でも我が身がかわいいだろうけれど、露骨すぎる。
コロナで死ぬかどうかはロシアンルーレットである。高齢者だけが死ぬわけではない。