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【ストップ・ザ・左翼政局】 世界が驚愕した明治日本‼ いまこそ「明治の日」制定へ 鳥居徹夫(元 文部科学大臣秘書官)
11月3日は明治期に天長節、昭和初期には明治節として国民が祝う祝日とされたが、いまは「文化の日」となっている。
この11月3日は、明治天皇の誕生日にあたる。
日本の幕末・明治維新の時代、強大な西洋列強によって、アジア・中国地域は植民地化・属国化がされていた。
その危機の中、明治日本は主権と独立を守り、明治天皇のもとで近代国家の建設に取り組んできた。
いま、この11月3日を国民の祝日「明治の日」に制定しようとする国民運動が展開されている。
一昨年の平成30(2018)年は、「明治150年」であり、その直前の平成27(2015)年には「明治日本の産業革命遺産」がユネスコの世界文化遺産に登録された。
苦難の時代でありながらも、近代産業国家づくりを目指し主権と独立を守り抜いたのが、明治日本の先駆者たちであった。
🔶 主権と独立を守るには、まず自前の大砲と軍艦をつくること
幕末から明治にかけてアジア・中国は、欧米諸国の強大な武力によって制圧され、その波が日本にも押し寄せようとしていた。
徳川幕府は、200年余りにわたって国を閉ざし、外洋を航海する大型船の建造を固く禁じていた。
ペリー来航の10数年前、1840~42年のアヘン戦争で、中国大陸の「清国」はイギリスに大敗し、「清国」は領土の割譲(香港など)と莫大な賠償金を支払わされた。
日本も、このままでは「清国」のように悲惨な状況になってしまう。
この危機に直面し、幕府は海防の危機感から長年の方針を転換して蒸気船と鉄製大砲の建造に挑戦した。
主権と独立を守るためには、自前の大砲と軍艦をつくることが、幕末から明治にかけての日本のミッションであった。
欧米諸国は、煙を上げて走る蒸気船と、遠くからでも撃てる大砲を持っている。
日本を植民地化から守らなくてはならない。そこで日本は、海軍を作ろうと考え、長崎の海軍練習所などで、洋式舶用機器に挑戦した。
産業国家建設による国の発展を願った若い志士たちの熱い思いが原動力となり、試行錯誤が繰り返された。
🔶 反射炉をつくり蒸気船に挑戦した明治日本の先駆者たち
盛岡藩士の大島高任(1826~1901年)は鉄鉱石を原料に洋式高炉で鉄をつくった。日本を守りたいという海防の一念から、反射炉をつくり蒸気船に挑戦した。
大島高任は、安政3(1856)年に水戸藩那珂湊〈なかみなと、現ひたちなか市〉で、反射炉による大砲の鋳造に成功(注―那珂湊の反射炉は現存しない)。翌安政4(1857)年、盛岡藩大橋(現釜石市)に洋式高炉を建設し、12月1日に日本初の鉄鉱石を原料とする洋式高炉での連続出銑に成功した。大島高任は、日本近代製鉄の父と呼ばれている。
反射炉や高炉での連続出銑の成功は、日本の近代化における先駆的な出来事であった。しかも短期間で達成された。
また英国のグラスゴーの造船所で学び、後に工部卿となり「明治日本の工業の父」と称された山尾庸三(1837~1917年)は「人を作れば、その人、工業を見いだすべし」との格言を残した。
人材の育成においても、多くの藩校や松下村塾(山口県萩市)などが、多くの指導者を輩出した。
明治日本の先駆者たちは、日本の主権と独立を守るため、獅子奮迅の奮闘の連続であった。
🔶 明治日本を正しく評価し、国内外に発信を
これまでも明治という時代は、廃藩置県や文明開化、四民平等の近代国家づくり、富国強兵などが、教科書や歴史書で一応は羅列されてはいるが、それだけで終わっている。
とりわけ欧米の列強によるアジア・中国の植民地化が進む中で、日本は国難といえる日清戦争や日露戦争という祖国防衛戦争を勝ち抜き、主権と独立を守った。そして産業国家の仲間入りを果たし、幕末に欧米諸国と締結した不平等条約を平和裡に改正し、関税自主権の確立、領事裁判権撤廃などを実現させた。
国内では明治憲法の制定、議会開設、さらには五箇条の御誓文、学制発布、教育勅語など精神文化の面でも目を見張るものがあった。
「明治日本」に、世界が驚愕した。
🔶 教科書で教えたい「明治日本」
私たちは、自国の歴史と伝統文化に誇りを持たなくてはならない。
いまの日本は、近現代史について情報を発信しない。発信しないということは、言われっぱなしとなる。
これに対し、中国や韓国は、「日本は悪い国だ」の大合唱。
国際化がすすむにつれて、日本のアイデンティティが、国内外とりわけ国内で問われている。
「日本を取り戻す」という作業は、これら史実に反する言いがかりに対する目潰し作業であるとともに、日本の若者・青年にロマンと勇気とパワーを与えるものを、提供していかなくてはならない。
まさしく、その意味で「教科書で教えたい」のが、「明治日本という激動の時代」と「その時代を生き抜いた先駆者たちの気概と情熱」である。
明治という変革期、激動期にあって、明治日本の先駆者たちの苦闘とその気概を、あらためて認識し継承することが、いまを生きる私たちに問われている。
《参考》日本製鐵ホームページ・近代製鉄の父・大島高任https://www.nipponsteel.com/works/east_nippon/kamaishi/about/takatou.html