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田中正造と同じ救国の活動家、嗚呼、横田滋さん。追悼!   西村眞悟

 横田滋さんが、去る六月五日に死去された。八十七歳の御生涯であった。言わずと知れた、横田滋さんは、昭和五十二年十一月十五日、十三歳の中学一年生の時、新潟で北朝鮮工作員によって拉致されて北朝鮮に連れ去られ、未だ四十三年間も北朝鮮に抑留されている娘の横田めぐみさんの父だ。

 その娘のめぐみさんと会うことができないまま亡くなっていった横田滋さんの無念の慟哭を思えば、お慰めの言葉も失う。

同時に、めぐみさんを拉致した北朝鮮への憤怒の思いは当然ながら、まことに、拉致された自国民を奪還する意思なく、国民を防衛することもできず、拉致を察知することもできない我が戦後日本の亡国の惨状に愕然とする。

そして、横田滋さん帰天の後、一ヶ月を閲した今、生前の滋さんの、妻の早紀江さんとともに、いつも訥々と娘の救出を訴え続けている姿を瞼に思い起こした時、同じ人がかつて我が日本にいたことに思い至った。

即ち、横田滋さんは妻の早紀江さんと共に、北朝鮮に拉致された自分の一人の娘の救出という一点に、私事ではなく公に尽くす自分の人生の意義と祖国の甦りをかけたのだ。

同様に、百年前に生きた田中正造は、自伝の冒頭に「余は下野の百姓也」と書いた男であり、肥沃な谷中村が、足尾鉱山の鉱毒を沈殿させる遊水池となって水没することを放置できなかった。そこで彼は直感した。谷中村を失うことは日本を失うことだ、谷中村を守ることは日本を守ることだ、と。よって、言った。「亡国を知らざればこれ即ち亡国」と。即ち、田中正造は、たった一人立ち上がり、日本を守ろうとしたのだ。

そして、百年後の現在、横田滋さんと妻の早紀江さんの、全国千数百箇所における娘のめぐみさんと拉致被害者救出の訴えは、田中正造と同じ救国の訴え、「亡国を知らざればこれ即ち亡国」の訴えだった。従って、拉致被害者救出運動は、戦後という時代の桎梏のなかで、唯一の国民の魂を動かす救国の国民運動となったのだ。

田中正造は、怒濤のような激しい男であった。これに対して横田滋さんは、静かに微笑みをたたえて訥々と語る方だった。二人は対照的であるが、人の魂を動かすことにおいて同じであり共にキリスト教への信仰を持っていた。

田中正造が残したものはずだ袋に入った新約聖書と数個の石だけだった。横田滋さんも、信仰と必ず娘に会えるという思いだけを遺した。

今、横田滋さんの在りし日の姿を思い浮かべるなかで、救国の拉致被害者救出という国民の魂に火がついた瞬間の情景が浮かんだ。

それは、大気中に充満する電気が、ある切掛けで一気に集約され落雷となって避雷針に落ちるような情景だった。それを、次に、横田早紀江さんと皇后陛下(当時)の二人の女性の言葉を以て語りたい。

この言葉を発した数年後に、私は早紀江さんに尋ねた。「あの言葉は、予めお考えになっていたのですか」と。早紀江さんは答えた。「いいえ、主人が眼の前で涙を流して絶句したので、それをみて咄嗟に出たのです」と。

平成十四年(二〇〇二年)九月十七日夕刻、同日早朝から北朝鮮の平壌を訪問していた小泉総理大臣一行は、北朝鮮の金正日との会談において、拉致被害者の内、横田めぐみを含む八人は、既に死亡していると伝えられた。総理大臣一行は、それを点検もせず盲信して東京に伝達し、東京では、官房長官と外務副大臣が死亡したと言われた八名の家族をそれぞれ別室に招いて、「残念ですが、あなたの娘さん(息子さん)は、既に死亡しておられます」と死亡を宣告した。

この死亡宣告の直後に開かれた記者会見に於いて、横田滋さんは、マイクの前で涙を流して絶句した。すると、夫に寄り添うように後ろに立っていた早紀江さんが、夫にもたれかかるように上体を傾けてマイクに向かい言った。

「絶対に、この何もない、いつ死んだかどうかっていうことさへ、分からないような、そんなことを信じることはできません。

そして、・・・私たちが一生懸命に、力を合わせて闘ってきた、このことが、こうして大きな政治のなかの大変な問題であることを暴露しました。

このことは、本当に日本にとって大事なことです。

・・・そのようなことのために、本当にめぐみは、犠牲になり、また、使命を果たしたのではないかと私は信じています。

いずれ、人は、皆、死んでいきます。本当に濃厚な足跡を残して行ったのではないかと、私は、さう思うことで、これからも頑張って参りますので・・・。

本当にめぐみのことを愛してくださって、めぐみちゃんのことをいつも呼び続けてくださった皆さまに、また、祈っていてくださった皆さまに、心から感謝いたします。

まだ、生きていることを信じ続けて闘って参ります。ありがとうございます。」

 そして、同年の十月二十日、皇后陛下は、御誕生日のお言葉を発表され、次のように言われた。

「小泉総理の訪朝とともに、一連の拉致事件に関し、始めて真相の一部が報道され、驚きと共に無念さを覚えます。何故、私たち皆が、自分たちの共同社会の出来事として、この人々の不在をもっと強く意識し続けることができなかったのかとの思いを消すことができません。」

 この二人の女性の直感が表れた言葉は、拉致被害者救出は、我が国家の救出であり自分たちの共同体の救出であることを示している。今も、涙を流して絶句した横田滋さんと、泣きながら夫に寄り添ってマイクに向かって話している早紀江さんの情景が瞼に浮かぶ。絶句した滋さんも早紀江さんと同じ思いだったのだ。「絶対に、いつ死んだかどうかっていうことさへ、分からないような、そんなことを信じることはできない」。

 事実、この二年後に、北朝鮮がめぐみさんの骨だと言って日本側に提出してきた骨は、我が国の優秀な鑑定の結果、別人の骨であることが判明した。

 しかし、平成十四年九月十七日の小泉訪朝団一行は、北朝鮮が言ったとおり拉致被害者の

死亡を信じて、東京で被害者家族に「死亡宣告」をしたのだ。

このこと、忘れてはならない。仮に、拉致被害者の家族も小泉一行と同様に死亡を信じておれば、葬式を出して「拉致問題」は終了したのだ。

そうなれば、小泉総理と金正日の平壌共同宣言での約束通り、我が国は北朝鮮と国交を結び、我が国は北朝鮮の思惑通り、巨額のカネを北朝鮮に渡し、邪悪な核をもつテロ国家に対する世界最大のテロ支援国家に転落していたであろう。

 なお、北朝鮮は、小泉一行が、拉致被害者の死亡を信じた様子を見て、平壌宣言実施(日本はカネを出す)の公算大と喜んだはずだ。従って、国交樹立の前祝いに、トラック二台分の松茸を小泉一行に贈り、同人等はそれを政府専用機に積み込んで東京に帰ってきた。

 政府専用機は、我が国の「エアーフォース1」ではないか。そこに、敵地で、検疫も点検もせずにトラック二台分の荷を積まれて離陸する馬鹿が何処の国におるのか。

 以上の通り、横田滋さんは妻の早紀江さんとともに、既に一度、我が国を救ったのだ。

 横田滋さん、ありがとうございます。ご冥福を切に祈ります。