cc「中朝国境の旅」

【中朝国境の旅 連載45】[李容洙ハルモニ騒動に見る慰安婦運動について 2] 野牧雅子(宮塚コリア研究所研究員)

前回、李容洙ハルモニ騒動に関連して、韓国の慰安婦支援運動が、北朝鮮による日韓分断工作の一環であることが、日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯(旧称韓国挺身隊問題対策協議会、通称挺対協、以後、挺対協)の成立過程で分かることを論じてみた。前回でも少し触れたが、韓国の女性運動は、1980年の光州事件を機に盛り上がっていったように思う。このサイトの読者に光州事件について説明するのは、釈迦に説法みたいなものだが、僭越ながら一応光州事件についておさらいしたい。

 

 1979年、10月26日、朴正熙大統領がソウル市内青瓦台近くの大統領専用秘密施設で、宴会が催されている時、中央情報部長の金戴圭に銃殺された。その場には、女性歌手が一人、女子大生が一人いた。女好きの独裁者のために呼ばれたのだった。翌日、10月27日、崔圭夏国務総理が大統領代行に就き、金大中の軟禁を解除し、政治犯68名を釈放し、済州島を除く全国に非常戒厳令を布く。12月12日、陸軍少将全斗煥保安司令官が、戒厳令司令官の鄭昇和陸軍参謀総長を逮捕し(彼は朴正熙大統領が暗殺された時、現場付近にいたにも関わらず、犯人の金鄭和をすぐに逮捕しなかった)、陸軍本部等を襲撃して国防長官を拘束し、全韓国軍を掌握した。これを粛軍クーデターと呼ぶ。全斗煥少将と共に戦う戦う中に、盧泰愚陸軍少将もいた。

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