contribution寄稿・コラム

【『福島50』を観てきた】 永井由紀子

◆トップの決断
菅直人は多分、いい人なんだろう。しかし、何よりも大切なトップの資格が欠落していたと思う。
吉田所長は免振棟を離れずに最後まで指揮した。
菅直人は焦り、不安に陥り現地へ飛んだ。それがなければおそらく作業はもう少し早かったのではと思う。
更に、福島へ飛ぶときに枝野らしき人が「権限の全権移譲を!」というと「よし!」と言い残して飛んでしまう。
トップが迷いもせず権力委譲をしてしまう愚かしさに、誰も何も言わない。
仮に枝野が「私が代わりに行きます。総理はトップとして指揮をしてください」と言っていたら・・・・? 局面は変わっただろうか?
菅直人は明らかに【活動家】としては先頭に立ち旗を振る役には適していただろう。
それが菅直人の限界だったと思う。活動家が政治家のトップになった時の愚かしい結末だ。

◆東電と政府と現場の三すくみ!?
東電は民間企業でありながら国の企業でもあった。東電のトップは政府の顔色を窺い、責任回避と指示を求めた。企業としての責任を政府に共有させたのだ。
東電のトップは現場に目を向けず、ひたすら「上からの命令だ!」で終始した。
企業責任やプライドをすべてあの時点で捨て去ったといえる。

◆緊急時の対応・現場の力
この映画が良くできたサスペンスではなく実話であることに震えた
吉田所長と現場の人間と東電本社の間には恐ろしい乖離があった。
しみじみと思ったのは、緊急事態の時に現場に決定権を持たせるトップの決断が必要であるということ。
その決断を裏付ける法的根拠が必要であること。
福島だけではない。これが尖閣や北海道、沖縄といったところで他国が侵略しかけていたら、会議会議で「ウイーンの踊る会議」の二の舞三の舞」である。

とそんなことを考え、感じながら、結論としては
「いざというとき、トップが判断できる条件が必須であること」(法的改正)
「トップとしての意識をしっかり持ち、決断できる首相を選ぶこと
福島原発の現場で頑張られた方々には、本当に感謝したい。
こうして映画が見れるのもその方々があってこそだと思う。
福島で被災された方々には心からお見舞い申し上げたい。