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【書評】 ―「歴史のかげに美食あり」黒岩比佐子著 講談社学芸文庫― 三浦小太郎(評論家)
本書は2010年、52歳で世を去った優れたライター、黒岩比佐子の著作中でも、最も面白い本の一つで、ぜひご一読をお勧めしたい。目次を見ているだけでその面白さは多少なりとも伝わるはずだ。
「本膳料理に不満を抱いた米国海軍提督(ペリーとの日米和親条約調印時に出された本膳料理について)」「最後の将軍によるフランス料理の饗宴(もちろん徳川慶喜)」「ダンスと美食による鹿鳴館外交(井上馨)」「河豚の本場で開かれた日清講和会議」「旅順陥落のシャンパンシャワー(児玉源太郎)」。そして、私個人はこの中で、黒岩がサントリー学芸賞を受賞した著書『「食道楽」の人 村井弦斎』でも取り上げた、村井弦斎のエピソードを含む「食道楽作家とロシア兵捕虜の交流」が最も面白く読めたので、本稿では日露戦争時のエピソードも交えて紹介したい。
日本は1886年にジュネーブ条約に加盟、99年にはハーグ条約にも調印していました。そして、日本国が捕虜を人道的に扱うことで、日本が文明国であることを示そうとした。日露戦争時の俘虜取扱規則には第一条にこう書かれている。
「俘虜は博愛の心を以て之を取り扱ひ決して侮辱虐待を加ふべからず」そして、捕虜将校には監視無しで散歩の自由を認める、捕虜全体の運動や学習を奨励する、など事細かな規則を定めた。
当時「食道楽」というベストセラー小説で一世を風靡していた作家村井弦斎は、新聞に「敵人の捕虜」という社説を書いている。
「戦争は軍隊と軍隊との争ひなり。武装したる兵士が互いに勝敗を決するなり。武装せざる人民と人民とは常にその善隣たり朋友たるを忘るべからず。同じく是地球上の人類なり、吉凶禍福あれば互いに慰問慶弔して人間の同情を表すべし。いわんや捕虜となって敵国に来るものはその心情に於いて憐れむべきもの多きにあらずや。わが国民は我が軍兵士に厚うするの余力をもって敵人の捕虜を慰藉するの道を講せざるべからず。」
当時のロシア軍捕虜は全体で7万人を超えたというが、捕虜収容所では、次のような食事が出されていた。これは松山収容所のメニューである。
(将校) 朝 パンバタ付き、紅茶(牛乳、砂糖付) 昼 パンバタ付、スープ卵付、ライスカレー、紅茶 夜 パンバタ付、野菜スープ、タンカツレツ、紅茶
(兵士)朝 パン、紅茶(砂糖付) 昼 パン、イワシフライ、ニンジンとカブを添える 紅茶 夜 パン、マッシュポテト、大根、紅茶
また、金沢の収容所では「ベルシチスープ」(牛骨ダシ、カブラ、ニンジン、ネギ)要するにボルシチを模したもの、カステラ、ローストビーフ、ポークシチューなどが捕虜将校に出されたという記録もある。明治30年代の日本庶民で、このような洋食や肉類を口にした人は少なかっただろう。
「捕虜になったロシア兵の多くは、言葉も生活習慣も違う日本での悲惨な生活を想像しておびえていたらしい。そんな捕虜たちが安堵したのは、食事に出されたパンと肉とスープを見た瞬間だった。(中略)戦いに負けて心身ともに傷つき、敵国に護送されて、自分がこれからどうなるかわからないときに、招き入れられた部屋で暖かいスープから湯気が立っているのを見れば、誰でもそれだけで安心するのではないか。」(歴史の影に美食あり)
そして、村井弦斎は当時「HANA」という小説を書いている。ロシア軍捕虜が、優しい日本人女性、特に看護婦に恋心を覚えて、結婚を望んだというエピソードは実際にいくつもあったが、村井はそれをテーマに小説を書き、直ちに英語版となって1904年に発行された。本書は最初から海外向けに書かれ、日本語版が存在しないという幻の小説である。
ストーリー自体は、ヒロインの日本人看護婦花子と、アメリカ人コナー、ロシア人ダンスキーをめぐるラブストーリーものだが「歴史の影に美食あり」では、この小説から二つの印象深いエピソードを紹介している。
花子の兄は日露戦争に出征するが、戦場で「戦争とはひどいものだ」とつぶやき、また、ロシアの軍艦が沈没して日本兵が喝采すると、日本軍の上官は「喜ぶな。人が死んでいるのだぞ。」とたしなめるシーンも出てくる。また、日露戦争の終戦と講話は語られるが、日本が勝利したことをことさらに表すことは避けているという。
また、花子の父は「食医」という設定で、病気をできるだけ食事療法で直そうとする医者として設定され、花子は父の仕事を手伝いながら、アメリカ人コナーに、日本料理の食材や料理法を丁寧に説明していく。コナーは感心してこう語るのだった。
「今後、人間が牛肉を食べ続けると、牛を飼育するために広い牧草地を確保しなければならない。一方、世界の人口はますます増大するので、牧草地が足りず、食用肉を供給できなくなる恐れがある。だが、広大な海がなくなる心配はなく、昔から日本人は、海の恵みである魚介類を工夫して食べてきた。肉食に偏る欧米人に、魚や海草の料理法を紹介すれば、必ず歓迎されるであろう。」(歴史のかげに美食あり)
小説では、花子はコナーと結ばれ、渡米して父の食事療法や日本料理を広めると共に、日米の懸け橋として活躍していく。最近は魚の乱獲も問題になっているが、日露戦争の時代、このような小説が書かれていたというのも、面白い歴史のエピソードではないだろうか。
この「HANA」は、村井弦斎のいわゆる自費出版だった。彼は採算を度外視し、英訳、装丁、印刷出版を全て支払い、1500部を印刷、欧米の有力雑誌や新聞社に寄贈し、20ほどの書評が載った。文学的な価値はともかく、明治の時代、日本人は現代のわれわれよりもはるかに「国際人」だったのではないかと思わざるを得ない。