sekaishikara「世界史から紐解く日本」
「イレーヌと英世 〜母に愛された研究者たち」 佐波優子
世界史から紐解く日本
「イレーヌと英世 〜母に愛された研究者たち」
佐波優子
歴史という学問の中には様々な資料や文書が存在するが、その中でも人の心を打つ者の一つが、「手紙」ではなかろうか。特に家族間の手紙は歴史の登場人物の素顔や温かさが垣間見れるものである。
今回は共に19世紀後半に生まれた世界と日本の二人の学者が母からもらった手紙を紹介したい。
世界史から登場するのは、イレーヌ・キュリー。ノーベル受賞者のキュリー夫人の長女だ。イレーヌは1897年、パリで生まれた。子供のころから母キュリーから数学の問題を教えてもらい親しんでいた。
イレーヌは17歳になると放射線治療の基礎を身に着け、独立し、フランス各地の病院に派遣された。母キュリーの良い手助けとして助手となり、共に仕事もした。
1935年、イレーヌは夫フレデリックとともに放射線に関する実験でノーベル化学賞を受賞した。第二次世界大戦後はフランㇲで初めての原子炉の開発にも参加した。
1956年、白血病でこの世を去った。
イレーヌと母キュリーは多数の手紙を交わしていた。キュリーが研究のためにイレーヌのそばにいてやれなかった時期が多く、手紙のやり取りによって絆を深めていたのだ。
イレーヌと離れた日々が続いたとき、母マリーはこんな手紙を送っている
「いとしいイレーヌ
あなたと離れ、便りも来ないと、落ち着かない気持ちがします。このような状態にどうしても慣れることができません。あなたはきっとお友達と一緒に楽しく泳ぎ、新鮮な空気を吸っているだろうと考えて心を慰めています」
二人の結びつきが感じられる手紙である。母マリーは、イレーヌがノーベル賞を受賞する一年前に亡くなった。
日本史から登場するのは細菌学者野口英世だ。英世は1876年、福島県で生まれた。父は佐代助、母はシカ。幼いころの名前は清作だった。貧しい農家の生まれで、小作料は高く苦しい生活だったという。清作が1歳半のとき、いろりの火で手を火傷する大怪我を負った。指がくっつき、後遺症として残ってしまった。子供時代は左手では茶碗も持てず、左手を隠すように過ごすようになったのだという。隠したところで他の子供たちにはすぐに気付かれてしまい、嘲りの対象となった。清作は学校にも行かなくなっていった。それを知った母シカは清作に言った。「おかあの不注意で相すまない。だけんどなあ清作、だからこそ負けないために、学問で身をたてるしかねえ。家のことなんぞ心配しねえで、一生懸命勉強してもらいたい」と。清作は「悪かった、おっかあ。誰にも負けねえように、おれ、これからうんと勉強する!」と答えて翌日から学校に通い、勉学に励むようになった。高等小学校4年生の時に教師たちの助けによって、左手の手術を受けることもできた。その時から清作は医師の道を志すこととなった。
清作は医者の書生になり、猛勉強した。20歳で医師の免許を取り、25歳でアメリカに渡って研究に励んだ。しばらく日に帰っていない清作(このころは英世と名前を改めていた)に届いたのが、母シカからの手紙であった。「おまイのしせにわ。みなたまけました。わたくしもよろこんでをりまする」1912年に母シカが書いた手紙だ。貧しさのため学校にも余り通えなかったシカがひらがなで書き綴った手紙だ。
息子に早く会いたいと、早く来て下されと何度も書いている。
「はやくきてくたされ。はやくきてくたされ。はやくきてくたされ。いしよのたのみて。ありまする。にしさむいてわ。おかみ。ひかしさむいてわおかみ。しております。きたさむいてはおかみおります。みなみたむいてわおかんておりまする」 英世に早く会いたいと、西を向いては拝み、東も北も南も向いて拝んでいるのだ。
英世は3年後帰国し、母シカに再会することができた。しかしその後、シカはスペイン風邪にかかって亡くなってしまった。同僚が英世を慰めたとき、英世は「母は遠くへ行ってしまったのではありませんから・・」と答えたという。
イレーヌと英世、科学と医学の二人の研究者は母の愛に包まれた生涯であった。
参考文献:「キュリー夫人伝」エーブ・キュリー著,河野万里子訳,2006年,白水社
「オックスフォード 科学の肖像 マリー・キュリー」オーウェン・ギンガリッチ編集代表,ナオミ・パサコフ著,西田未緒子訳,2007年,大月書店
「マリー イレーヌ キュリー 母と娘の手紙」ジレット・ジグレ編,西川祐子訳,1975年 人文書院
「科学者キュリー」セアラ・ドライ著,増田珠子訳,2005年,青土社
「イレーヌ・ジョリオ・キュリー」エル・ロリオ著,伊藤力司,伊藤道子訳,1994年,共同通信社
「正伝 野口英世」北篤著,1980年,翠楊社
「野口英世」中山茂著,1978年,朝日新聞社
「心を動かす珠玉の手紙」日本史研究会編著,2005年,日本文芸社